以前、愛知県のお城を紹介するコラムを書きましたが、戦国時代の史跡巡りはまだまだあります!

愛知県お城巡りと満喫グルメツアー!

愛知県は三英傑を輩出し、戦国時代には歴史の舞台にもなった場所が数多くあります。時代が動いたような古戦場もいくつもありますが、その名残を今も感じられるのはやはり…


今回は、愛知県が舞台になった三英傑ゆかりの地をめぐります。テストに名前が必ず出てくるような合戦の舞台が、いくつも愛知県にはあるんですよ。歴史ロマンを感じながら、いざ古戦場へ!

目次

圧倒的数の不利を覆しての歴史的勝利!桶狭間の戦い

桶狭間公園にある信長と義元像

愛知県名古屋市、伝統工芸の有松絞りで有名な有松地区から南に1.5kmほど離れた場所に史跡「桶狭間古戦場公園」はあります。

調査員F

桶狭間は、織田信長 対 今川義元が激突し信長が勝利した、歴史的な戦があった場所ですね!

逆境だった「桶狭間の戦い」

現在の名古屋市緑区のあたりへ進行してきていた今川義元の兵、その数2万5千。迎え打つ織田信長の兵、およそ3千。今川義元は静岡~三河までの三国を統治する大名、かたや織田信長はようやく尾張一国を統治するのみ。その戦力差は圧倒的でした。

今川義元は、着実に砦を攻略し織田信長の領地へと侵攻してきます。今川軍は、織田軍の砦に囲まれて孤立していた大高城に兵糧を届けることに成功し、次いで周辺2つの砦を攻略し、本陣の今川義元は余裕しゃくしゃく(だったかどうかは不明ですが)で緑区の桶狭間山で休憩をします。

調査員O

余裕すぎて、お酒まで飲んでいたらしいですよ

そこに織田軍が襲い掛かり、追われた今川義元は山を下り現在の桶狭間古戦場公園のあたりで討ち取られたと言われています。
(桶狭間古戦場公園のすぐ近く、豊明市にも桶狭間伝説の地があります。戦場が、現在の名古屋市緑区~豊明市にかけて広がっていたため、明確にどちらで義元が打たれたかわかっていないのです)

戦力差をアイデアで覆した織田信長

桶狭間公園には信長公が今川義元の首を洗ったといわれる井戸も残る

圧倒的な戦力差を覆すことができたのは、織田信長の奇抜なアイデアがあったからです。

今川義元は、砦攻略に1万、後方守備に1万。自身の周囲に5千と配置しながら、着実に清須を居城とする織田信長を討ち取るべく、領地の深くへと進行していました。

今川軍が桶狭間山にいることを聞いた織田信長は、早朝に清洲城を発ちます!熱田神宮にて1千の兵と落ち合い、必勝祈願をしたのちにいよいよ緑区方面へと進軍を開始。

アイデア①今川軍の戦力分散!

今川本軍への攻撃をはじめる前に、今川義元直近の5千規模の隊に3百の小隊をぶつけ、戦力をそちらに向けました。
おかげで、今川義元の周囲が手薄になりました。

アイデア②近くの砦に軍旗をいっぱい立てる!

また、今川義元が本陣を置いた桶狭間山から直線距離にしておよそ5kmにある、善照寺砦に自軍の軍旗をたくさん立てることで、織田軍の兵力がそこに集中していることを装いました。

調査員O

実際には、織田信長は密かに善照寺砦を出て今川義元のいる桶狭間山へと手勢3千の兵と向かっていたのです!

ですが、今川義元は山の上にいたため進軍してくる織田信長は丸見え…になるはずが、天が味方したのです。突如として、豪雨が降り始め織田軍を見えにくくした上に、激しい雷雨だったため今川軍は動揺。

雷雨が上がったそのとき、今川軍に織田軍が突如として(今川軍には突然織田軍が目の前に現れたようなもの)襲い掛かります!
織田信長も馬を降り、先陣を切り今川義元を目掛け切り進んでいきます。

調査員O

織田軍の猛攻を受け今川義元は山を追われるように逃げ下り、現在の桶狭間古戦場公園付近で織田信長の部下に討ち取られたのです。

織田信長は圧倒的な戦力差を知力で覆し、歴史的な勝利を手にしたのです。そしてこの勝利が、織田信長の天下統一への第一歩となりました。

住宅地の中に存在する、桶狭間の戦いの史跡

そんなドラマチックな桶狭間戦場の中心地は、古い街並みでも有名な有松の程近く。道の入り組んだ住宅地の中にあります。

馬つなぎの社松

桶狭間古戦場公園には織田信長と今川義元の銅像がたたずみ、他にも今川義元が馬を繋いだと言われる「馬つなぎの社松」や、合戦の様子を模したジオラマなども設置されています。

桶狭間古戦場公園から徒歩3分ほど離れた場所に観光案内所があり、北斗の拳作者の原哲夫が手がけた織田信長像があったり、ガイドの方から桶狭間の戦いについていろいろ伺うこともできます。

桶狭間古戦場公園詳細情報

  • 住所/名古屋市緑区桶狭間北3
  • 駐車場/なし
    ※桶狭間古戦場観光案内所にあり
  • 料金/無料

桶狭間古戦場観光案内所詳細情報

戦国最強!武田信玄が攻めてきた(泣)長篠の戦い

甲府駅前にある武田信玄像

静岡・長野と県境を接している、愛知県内で豊田に次いで面積の大きな新城市。豊橋市の北に位置した、自然豊かな土地です。そんな新城市(長篠・設楽原)で繰り広げられたのが「長篠の戦い」

織田信長は今川義元に歴史的勝利を収めた桶狭間の戦いの後、徳川家康などを家臣に加え勢力を拡大していました。それを凌ぐ勢いで勢力を拡大していたのが、現山梨を拠点に勢力を拡大していた武田氏です。

調査員O

風林火山でおなじみの、武田信玄の勢力ですね。

桶狭間の戦い後、徳川家康を家臣に加えた織田信長は自身が協力して将軍に据えた足利義昭との対立をきっかけに、織田信長に敵対する勢力に攻められます。

織田信長の周囲に敵勢力が増えたこの機会に、武田信玄は徳川家康の領地だった遠江国(現静岡県西部)・三河国(現愛知東部)に侵攻を開始します。侵攻してきた武田軍と迎え打つ徳川軍は、現浜松市の三方原で激突。

徳川家康はこの戦いで大敗を喫します

調査員O

徳川家康は三方原の戦いで負けて撤退しているときに、武田信玄が怖すぎで馬上で脱糞したとかしないとか…※現在は脱糞はなかったとの意見が多いそうです

長篠の戦いは徳川・織田の連合軍での戦いだったので、お菓子も連合してありました(長篠設楽原PA)

武田信玄は、その後も静岡から愛知へと侵攻を続け、徳川領の野田城も攻略します。しかし、突如として武田軍は山梨へ撤退していくのです。

調査員O

攻めどきに、どうした!?信玄!!!!

今度は信玄息子(勝頼)もう長篠城は返しません!!

写真正面、川の合流点に長篠城がありました

野田城を落としたところで武田信玄の体調が悪化、山梨への撤退途中で亡くなってしまいました。戦国時代最強とも言われる武田信玄が亡くなり、家康・信長はほっとしたことでしょう。

武田信玄は三河侵攻の際に徳川領地であった長篠城を攻略し武田領地としていたのですが、武田信玄が亡くなった隙をつかれ徳川家康に奪還されてしまいます。

そこの再奪還のため、武田信玄の死から一年後には息子である武田勝頼が攻めてきます。この武田勝頼も、父と同様とにかく強い。織田領地であった現岐阜県恵那市の明智城を落とし、その後は徳川領地であった現静岡県掛川市の高天神城を落とします。

勢いそのままに、徳川氏から長篠城を再度奪還すべく1万5千の兵を率い長篠城攻略を開始します。

調査員O

ほっとしたのも束の間・・・息子も強いなんて、恐るべし武田氏!

長篠城は、5百の兵で守備を固め籠城します。すぐに陥落するかと思いきや、長篠は立地と鉄砲などの武器を有していたことで踏ん張ります。そんな中、兵糧蔵が火事になり食料を失うという絶体絶命の大ピンチに!

鳥居強右衛門(とりいすねえもん)という使者が命を賭して岡崎にいた徳川家康に援軍要請し、徳川・織田連合軍3万8千が長篠救援のために到着。長篠城手前の設楽原という、デコボコとした丘陵地帯に陣を置きます。

設楽原であの最新兵器が火を噴き、戦国最強の騎馬隊を粉砕!!

円頓寺商店街に鎮座する、火縄銃を持つ織田信長

デコボコしていたので見通しが悪いのを利用し、織田信長は軍を小分けにして配置します。それと同時に武田軍は騎馬隊がとても強かったため、突撃してくる馬を防ぐために馬防柵を設置していきます。

見通しの悪い丘陵地帯で待ち受ける織田軍に、まんまと武田軍は突撃します。馬防柵で勢いを失ったところに、その当時の最新兵器とも言える火縄銃が火を吹きます。

火縄銃は弾の装填に時間がかかるのが欠点でしたが、それを3列に最前列が発砲→最後尾に下がるを繰り返す三段撃ち戦法を生み出し克服。連続して襲いかかる鉄砲の圧倒的な破壊力に、騎馬隊はバタバタと倒されていきます。

調査員O

現在、三段撃ちはなかったという考えが主流となっているようです。が、火縄銃という新たな武器を戦に持ち込み、その後の戦いを大きく変えることになったということに変わりありません。

破壊力はもとより、大きな音でも戦力を削がれてしまいそう

武田軍の長篠城攻略の拠点だった砦も攻略され、味方も勝手に撤退を始めるなどで武田勝頼は敗北します。徳川領を守るための戦いでしたが、ここでも織田信長のアイデアで大勝利を飾ることとなったのです。

山間ののどかな農村部に広がる「設楽原決戦場」

復元された馬防柵を見ることができます

火縄銃(鉄砲)を用いた、新たな戦い方の幕開けとなった設楽原決戦場跡は新城市の山に囲まれたのどかな景色が広がる中にあります。復元された馬防柵を見ることができますね。

また、武田勝頼に攻められた長篠城跡は現在建物は残っていないものの、川を掘として活用した天然の要塞であったことが牛渕橋からの景色からわかります。

調査員O

近くには城っぽい建物の長篠城址資料館もあり、武具や徳川家康に援軍要請に行った鳥居強右衛門などについて知ることができます。

設楽原決戦場詳細情報

  • 住所/新城市竹広大宮清水1−9
  • 駐車場/なし ※車を停められるスペースはあり
  • 料金/無料

設楽原歴史資料館詳細情報

長篠城址史跡保存館詳細情報

  • 住所/新城市長篠字市場22-1
  • 駐車場/無料(普通車50台)
  • 営業時間/9:00〜17:00(最終入場16:30)
  • 定休日/火曜日・年末年始(12/29〜1/3)
    ※火曜が休日の場合開館、翌平日が休館。
  • 入館料/220円(一般)、100円(小中学生)
    ※設楽原歴史資料館共通券あり
  • URL /https://www.city.shinshiro.lg.jp/mokuteki/shisetu/shiryokan/shitaragahara/yokoso.html

ドライブの途中で立ち寄れる!歴史好きの方におすすめ史跡

長篠設楽原PAは、織田と徳川の家紋が至る所にあります

新東名高速自動車道にある長篠設楽原パーキングエリアは、長篠の戦いをテーマにしたパーキングエリア。上り車線を武田軍、下り車線を徳川・織田軍に見立てています。火縄銃や馬防柵も見ることができ、武将にちなんだグルメも食べられます。

調査員O

そして!下り車線は、織田信長の本陣跡に徒歩で行けちゃうんです!!パーキングエリアを見下ろす小高い山の上にあり、徒歩10分程度で到着します。


ドライブのついでに、気軽に歴史を感じることができる歴史好きにはおすすめのパーキングエリアなんです。

他にも、道の駅どんぐりの里いなぶのすぐ裏の山には、長篠の戦いで負けた武田勝頼が撤退の途中で一夜を過ごしたという武節城の史跡があります。道の駅から徒歩20分ほどで到着するので、散歩がてら行ってみるのも良いかもしれませんね。

調査員O

どんぐりの里いなぶは、とても素敵な道の駅でした!武節城址のついでにぜひお立ち寄りください!!

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長篠設楽原パーキングエリア(下り)詳細情報

  • 住所/新城市富永住居田
  • 駐車台数/大型60台・小型65台
  • 店舗営業時間/
    長篠陣屋食堂(フードコート)7:00~22:00
    長篠陣屋台(テイクアウト)11:00~19:00
    東海道 みちの市(おみやげ物販)24時間
  • URL/https://sapa.c-nexco.co.jp/sapa/shop?sapainfoid=210

実質、勝ったのは豊臣秀吉!?小牧・長久手の戦い

円頓寺商店街にある秀吉像

信長の次男が仕掛けた戦

織田信長が本能寺の変で倒れ、清洲会議で羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が推した信長の孫(三法師/3歳)が織田家の跡取りと決まります。本能寺の変の首謀者である明智光秀を討ち取ったことで、羽柴秀吉の発言力は強大なものとなっていたのです。

調査員O

実際、その後に巨大な大坂城の築城に取り掛かったりと、天下人のように振る舞い始めます。

それが面白くないのは、織田信長の次男である織田信雄(長男信忠は信長とともに本能寺で死亡)。

どうにか羽柴秀吉から実権を取り戻したい織田信雄は、徳川家康に助けを求めます。そうして、織田信雄・徳川家康軍1万7千 対 秀吉軍10万との間に起こった戦いが、小牧・長久手の戦いです。

調査員O

織田信雄が仕掛けた戦なのに、存在感がいまいち薄い・・

徳川家康は小牧山城に陣を構え、羽柴秀吉は犬山城に陣を構え睨み合いが始まります。こう着状態が続く中、羽柴軍から徳川本拠地である岡崎を落とすべく、別働隊2万が闇世に紛れ出発します。

その動きを察知した徳川家康は、9千の軍を徳川四天王の榊原康政と井伊直政に率いさせ攻撃。現在の長久手付近で激突し、勝利を収めます。

徳川家康とは戦わずに織田信雄を攻める知略の羽柴秀吉

まさかの大敗を喫した羽柴秀吉は、徳川家康と戦うのは分が悪いと判断し織田信雄の本拠地である伊勢に攻撃。いくつかの織田側の砦を落とし、羽柴秀吉は織田信雄に和睦を申し入れます。

織田信雄は、戦の理由がそもそも自分のうえ、徳川家康まで巻き込んでいるにもかかわらず、徳川家康に告げることなく和睦を受けてしまいます。

調査員O

「あいつ(秀吉)ムカつくから一緒にやっつけて!」と徳川家康と組んで戦をはじめたのに、仲間になってくれた徳川家康を裏切るような形で羽柴秀吉と仲直りしちゃったようなものです。

徳川家康は、羽柴秀吉と戦う理由がなくなってしまったため小牧・長久手の戦いは集結。

実戦的には徳川軍は羽柴軍に勝ったように見えますが、政治的な面では羽柴秀吉の方が一枚上手だったのです。そしてその後、徳川家康は羽柴(豊臣)秀吉の臣下に下ることになり、最終的に豊臣秀吉は天下を統一しました。

小牧と長久手、広域にわたる戦場をめぐる

展望台にもなっている小牧山城

そんな小牧・長久手の戦いの史跡を巡ってみましょう。

徳川家康が陣を置いた小牧山城は、平地に突然ぽこっと隆起した小山の上に史跡として残っています。現在は、城風展望台になっており、羽柴秀吉が陣を置いた犬山城も遠く望むことができます。他にも、突貫で築いた土嚢の断面などを見ることができます。

徳川軍が勝利した長久手古戦場は、現在公園として整備されており入館無料の郷土資料館があります。1階では、長久手合戦のジオラマが展示されています。またこの郷土資料館では、レンタサイクルを無料で貸し出しており市内の史跡巡りをすることができるんです!

調査員O

また、長久手のお隣、日進市にも小牧・長久手の戦いの舞台になった岩崎城があり、復元された模擬天守を見ることができます。愛知には史跡がいっぱいですね!!!

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兵たちの携行食にもなっていた、八丁味噌

カクキュー八丁味噌

戦国時代と名前がついてしまうほど、戦いが多かった乱世。日本中で多くの戦いが起こっていました。

愛知で鉄砲のように活躍したのが、八丁味噌!豆味噌の風味の良さ、そして長期保存が可能で携帯にも便利な味噌は戦いに携行していたようです。現在も、愛知県では味噌を使ったグルメがいっぱいあります。

史跡巡りのあとは、味噌グルメで疲れを癒してみてはいかがでしょうか?

愛知の史跡巡りにおすすめの味噌グルメ!

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